「めんぼうを売るのなら直接うどん屋に行かれたほうがはやいのでは?」
当社の営業員が、セールス先の百貨店でそう言われた。まだ市民権の薄かった「綿棒」を、お店では「麺棒」にとり違えたのであった。創業時の笑い話である。
私どもの会社は日本ではじめて綿棒を製造して以来44年になる。
創業者が病院に出かけたおり、消毒のため看護婦が木の棒に綿を巻きつけて使っているのを見てアイデアが浮かんだ。
爪楊枝の製造工場を営んでいた創業者は、回転させながら造る爪楊枝を木軸におきかえ、それに綿を巻きつける図式ができあがっていた。試行錯誤は解繊(かいせん)方式による綿棒をはぐくんだ。
解繊方式とは細かく粉砕した綿を軸に吸着させ綿球を形成する製造方法で、使用感、肌ざわりとも抜群によい。使用する軸も折れやすい木製から絶妙な弾力性をもつ紙軸に主流を変えた。
経営の停滞は衰退にある。変革は一般向け綿棒の生産拠点を中国とベトナムに移すとともに、市場の国際化にも入り、国内生産は医療用綿棒にその中心が向かい、高付加価値品への挑戦は医薬品の発売にまで及んだ。
オーナーは社員のために御嶽の麓に、立派な山荘を建てた。私は毎年山荘開きに一番乗りをして御嶽の残雪に純白の繭をおもう。繭はそのまま綿棒の綿球になる。
やさしくて、思いやりがあり、チャレンジ精神旺盛な社員の皆さんに来ていただいて、会社は幸せ者である。
創業の遺産を明日への基(もとい)として、さらなる躍進をねがいつつ、私どもは今日も純白の「繭」を創りつづける。
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