今回は弱冠29歳にして弊社上海工場の用地取得から完全操業の大任を成し遂げた、上海工場女性社長である李煒の父君李連泰氏の散文、『云品(雲品)』を掲載いたします。
この散文は、1995年中国散文賞の優秀作品に選ばれたもので、今回とくに同氏の許可を得、李煒の手により日本語訳にしたものです。
中国の広大な大地に屹立する霊山に漂う雲々に、人間の品格を問うという深甚(しんじん)かつ千尋(せんじん)な思想を味わいたいとおもいます。
雲 品(ゆいひん)
人には品位があるように文章にも品位というものがある。
文章のそれは人の品位が基(もとい)となることはいうまでもないが、雲の姿にも品位があるのではないか、私にはそこに人の品位への繋がりが見えてくる。
ある日、武夷山の主峰である黄岡に登った。
車は曲がりくねった道を登り、雲を車窓に見ながら三つの大きな峰に向かう。
麓にあった霧も登るにつれ、しだいに薄れて明るさをまし、まわりの山々が白い雲につつまれだした。峰をふたつ越えたところで、前方がまるで雨が降りだすようかのように朧となったが、しばらくするとまた晴れてきた。ふり返ると、車と一緒になって走っていたはずの雲は、まだ樹々につかまっていた。
山頂に到着すると紺碧の空が一面にひろがり、眼下には雲海がまるで分厚い絨毯のように敷き詰められていた。山頂に僅かにのこった雲がたゆたう姿を眺めていると、作家会議で河南省伏牛山に出向いたときの、山々や雲々の光景が頭を過ぎった。
その日、小雨のなかを登りはじめた。
遠くに眺める主峰は重い雲球のひとつに見えた。雲は帯状となって、あたかも伏牛山の威厳を示すがごとく、綿のように、あるいは真珠のように変幻交差し、主峰の頂を飾っていた。
まるで私の高所恐怖症がわかっているかのようにして、足下の渓谷では一群の雲が重なりつつ視界をさえぎり、遠方よりの客の歓迎の挨拶をしてくれるようだった。そんな雲に助けられ老界嶺に登り、天空で雲海に浮かぶ峰の島々のえもいわれぬ景観をカメラにおさめた。
そのとき私の脳裡に、雲にも命があり、その命が品位を醸しだしているという確信が湧いてきた。
山にいて、機上にいて雲と語らいながら、雲の品位、それを雲の水準とでもいおうか、自らの高度を保ち──霧のように低くなく、またそれは蒼穹の天のように高くを望むものでもなく、雲はつねに一定の高さをたもっていた。山際にあっては霧と交わらず、霧が散るときも雲はまた依然として雲でありつづけた。
庐山(ルザン)、黄山の諸峰で見たとおなじように、雲は山腰(さんよう)を抱き、山裾に臥し、はたまた山頂に泳ぎつつ、樹々とたえず呼応して己の姿勢を揺るがせない。それでいて雲は山の威力に縋ろうとせず、峰の低さも厭わず、星辰(ほしぼし)を追いつつ、雲の天職であるうつくしい模様を宙(そら)に描き、そして宙より雫をあつめ大地を浸潤しながら生涯をおえる。それこそが雲の『品位』なのだ。
雲は入江、河川、山々からの呼吸であり大自然の精髄を昇華させ、誕生の瞬間から自分の理想を求めつづける。ゆえに雲は昼となく夜となくたえず空を清遊し、東の果てにはじまりの暁光をさがし、夕べにあっては終(つい)の陽光をつかみ、狡猾の雫を染めずして世界と人生と歴史を読む。
雲は青空の飾り花でありながら、峰々の重厚さと原野の豪放をもそなえ、それゆえに詩歌に欠かせぬ主役となった。しかし、いくら雲は高潔であるといっても、人は身近に見る雲のことをいろいろと取り沙汰をする。
たとえば《雲煙過眼》――(雲や霞がすばやく通りすぎてしまうように、物事をちょっとみるだけで深く心にとめないこと)──という言葉を人は創ったけれど、それを雲のせいにすることはできない。また《青雲直上》――(高い志を抱いて突きすすむ)──という言葉もあるが、雲にそのような奢った欲望はない。
黒雲は城を圧倒し打ち壊す、という諺も然りである。もしも雲にそのような力があるとしたなら、人は城をつくることはない。
いつの世にあっても雲は雲でしかないが、人の取り沙汰というものは恐ろしい。
雲が人のかなしみに涙するとき、それは雨となって人の身体と心を濡らす。
-完-
李連泰
原題「云品」 一九九五年中国散文賞優秀作品賞
上海市在住 一九四三年生
中国散文協会理事