「ふるさとは遠きにありて思うもの」で始まる詩人・室生犀星の有名な詩『小景異情』に、次の一節がある。
うらぶれて異土の乞食となるとても
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
若い頃は、この一節の意味を、「故郷とは、離れてはじめて、その大切さが分かるもの」と解釈していました。
私がはじめて、故郷である富山を離れたのが18才のときでした。それは、都会への憧れでもあり、「自分とはなんぞや?」のはじまりだったのかもしれませんが、いま思えばただ漠然としていたと思います。
とにかく、富山に居たくなかったのでしょう。
そして都会での独り暮らし、生涯の友と言える学友ができ、アルバイト先では幅広い世代の方達に人生を教えられ、とても充実していたと思います。
しかし、離れて感じることも沢山ありました。久々に帰る故郷の空気、山の雄大さ、海の匂い、どれをとっても今までに無い新鮮な感動がありました。
22才で結婚して人の親となり、富山で暮らしている今でも、夕映えが掛かる山に感動して、海を一日中ただ眺めて いたり、それだけでも幸せを与えてくれる場所は、私にとって掛け替えの無い宝物となっています。
冒頭で室生犀星の一節を紹介しましたが、彼は故郷である石川県への思いを抱きながらも、最後まで故郷へ戻って暮らすことはなかったと聞いています。苦難の生い立ちを過ごした犀星には、単純にふるさとを懐かしむだけでは済まない複雑な思いを持って「遠きみやこにかへらばや」と書いたのでしょう。
私は、故郷に帰れたことを幸せに感じています。
-M.F.-