人生に無駄なこと、意味のないことは一つとしてない。
と、そう言い切れるとしたなら、あの日の出来事はいったい何だったのか。
そのあさ、私は自宅から勤務先に向かっていた。家を出たときは暗かった空も、二三十分走ったところで白みはじめていた。しかしライトを消しては危ない明るさである。前も後ろも走るクルマはない道を、私は六十キロ前後のスピードで運転していた。
と、フロントウィンドーの上の上空から一羽の鳶が舞い降りる気配がした。これまでの経験からして、鳥がクルマにぶつかってくることは皆無であったから、鳶もこれまでの鳥たちのように翼をひるがえして空に戻るだろう、一瞬であつたが私はそう考えてながら運転をつづけた。
ところが鳶はまるで道路上にいたであろう獲物しか眼中にないように、そのまま私のクルマの前に降りてきた。つぎの瞬間、鳶はクルマの前部にぶつかり、跳ね飛ばされて反対車線に羽をばたつかせながら落ちた。
私は速度をゆるめ、バックミラーに映る鳶のすがたを追った。鳶は路上で羽を動かしながらうずくまっていた。
怪我は重いのか、それとも軽傷か。もし手当をしなければならない状態であるなら、獣医の診察開始まで三時間以上ある。それに近くに獣医があるのか、もしあったとしても怪我をした鳶は、羽を広げれば1メートルはゆうにあるから、私のクルマのなかでおとなしくしている道理はない。私が助けなくとも、通りかかった善意の人が助けてくれることもある。しかしその前に他のクルマに轢き殺されてしまう可能性だった高い。まてよ、傷は思ったより軽く、ふたたび飛び立ったかも知れないぞ。
これらの考えが瞬時にして、私の頭の中を駆けめぐっていた。が、気がつくと私のクルマは事故現場からかなり離れてしまって、その後の鳶の状態が確かめられない。
あの鳶に家族はいたのだろうか。もしかしたら餌を待つ雛が巣で待ちつづけているのではないか。もしかしたら妻(メス)か、夫(オス)が待ち続けてはいないだろうか。まさか自殺はあるまい。……冷酷な私はそのまま走り去った。
その夜、私の脳裡には路上に落ちた鳶の姿が焼きついて忘れることができず、部屋でぼんやりと眺めるテレビでは、ワニを生け捕りにしたり、網に追い込んだマグロを叩き殺したり、ホホジロザメを殺している人間の姿が映し出されていた。
それはなにも動物に対してだけではない、人間にだってそうだ。人は自分勝手に関係もない人を殺傷し、また私利私欲だけのために他人を殺傷する。
私だって日々、無意識のなかで多くの生き物を殺し、また間接的に殺している。
毎日、歩きながら路上にうごめく無数の虫を踏みつぶしているだろうし(実際は足下の蟻をなるべく踏みつけないような歩き方をすることもあるのだが)、牛・豚・鶏・魚類の肉だって、屠殺や解体などのイヤな仕事、やりたくない仕事を他人にやらせておいて、自分だけは美味しいとろだけ取っている。
そう、地球のイキモノの世界を煎じ詰めれば弱肉強食なのだ。
こういった仕組みを神さまが創ったとしたら、どこかが間違っているのではないか、そんな自問自答を、私は千日手をさすように繰りかえしている。
鳶の痛みと、恐怖感と、残した家族への思いは推し量られるものではないが、量り知れないものがあろう。
バックミラーに映る身もだえをする鳶の眼に、冷酷に走り去る私の背中が映っていただろうか。
「せめて軽傷で無事に飛び立っていてほしい」、何かができたはずなのに薄情で罰当たりな私には、こんな無責任な言葉しか思い立たなかった。
あの日から幾月か、その場所を通るたびに鳶のすがたが思いだされる。
ー k ー