どろどろに溶けたガラスのひとしずくを水のなかに落とすと、ガラスはうつくしい涙の形になる。十七世紀にドイツの王子ラパートが英国王に献上したのが由来の、このガラス玉を「ラパート王子の涙」という。
泣くことしか表現の手段がなく生まれてきた人類は、やがてあまたの言葉をもち、思いを言葉で伝えるようになる。
が、人はまた涙でしか伝えられないことがあることをふたたび識る。思いが言葉を超えたとき、思いは涙へと転生し、いくつもの色を醸しだす。あたかも人をして肉の塊から精神の塊に変えんとする、天がさずけた免罪の雫のように。
「ラパート王子の涙」の涙状の丸く固まった方は金槌で叩いてもなかなか砕けない。ところが、尾のように細くなった部分は指でかんたんに折れ、涙の玉はとたんに粉々に砕けてしまう。
宇宙の灼熱と混沌と悠久のなかからうまれた偶然の子、ヒトの生命(いのち)も強くまた壊れやすい。
中島みゆきの歌に「この空を飛べたら」という曲がある。
♪空を飛ぼうなんて 悲しい話を
いつまで考えているのさ
という歌い出しではじまるこの歌は、
♪この空を飛べたら 消えた何もかもが
帰ってくるようで 走るよ
ああ 人は 昔々 鳥だったのかもしれないね
こんなにも こんなにも 空が恋しい
という歌詞でおわる。
この歌詞に私は、どうしても人類の未来の姿を重ねてしまう。
中島みゆきは、この歌で人類の未来を歌ったのではないのかと……。
人類が滅亡したあと、何億年という気の遠くなるような時間が過ぎ去った地球に、ふたたび誕生をした新しいヒトたちの体内に、かつて自由に飛び回った人類の記憶が刻みこまれていたという。
とおい昔、海から陸に上がったクジラは、 ふたたび海に還っていった。
しかしその説に、あえて異説をとなええるとしたらこうだ。
その昔、海から陸に上がろうとしたクジラが、陸上に垣間見る人類の醜い姿に、陸に上がることを拒否をした賢者だったのではあるまいかと。
2001年9月11日。
人類の築きあげた二つのガラスの巨塔が、数千名という尊い生命をのみ込みつつ地上に粉々に砕け散ったあの日、人類は大きなものを喪失した。
人類から大きななにものかを奪い取ったものは核兵器ではない、ヒトのやさしさとあたたかさを司るココロの働きそのものであった。
人類は天から授かった大地から、夢にも思わなかった宝物をつぎつぎと創り出した。
創り出された宝物は緑の大地を灼熱の砂漠と化し、やがて人類を大地から追放せしめんとする。そしてふたたび大地は、鳥や獣や虫や樹々たちかの王国として還るのだ。
なんという文明の逆説か。
そして歌はつづく。
♪この空を飛べたら 冷たいあの人も
やさしくなるような気がして
この空を飛べたら 消えた何もかもが
帰ってくるようで 走るよ
すべてにおいて遅すぎることはない。
ー K ー