
夏の夕べに妻の友人が逝った。まだ五十なかばの若さであった。
亡くなった友人が生前、ひとり息子の結婚式で自分の意にそぐわぬ嫁に「わたしはあの嫁に看取られたくない」といって、旦那に窘められていたという。
「荼毘にむかう霊柩車のクラクションが、ながーく鳴るでしょ、死者への未練を絶つような音で。むかしは無かったのよね。ご主人これからどう暮らされるのかしら……」
荼毘をおえ、玄関先でそう言う妻のとおい目が、山の向こうの火葬場にむかっていた。
そういう妻に、どこからか舞ってきた真っ白な蝶がまとわりついてきた。
「この辺に蝶が舞うことはないのに、ふしぎなことがあるわ、蝶は人の化身ということを聞いたことがあるけど、きっとあの人がわたしに最後の別れを言いに来たのよ。でも可笑しいの、あの人ったら蝶が大嫌いな人だったのに皮肉ね。悪戯して、まだ蛹から孵ったばかりの蝶を、あの人の肩につかまらせたことがあって、きゃー、取って取って、と言ってもう大騒ぎだったんだから」
妻は笑いながら泣いていた。
蝶はひとの魂の生まれ変わりとして考えられてきた。幼虫から蛹へ、さらには美しい成虫へとドラスチックに変容する蝶に、ひとの化身としての姿を見るようになったのだろう。ギリシア語psyche(プシューケー)は、魂を意味するが、同時に蝶をも意味するのは、そんなところに来歴があるのだろうか。
ひとの感情は分子となり、呼気とともに空中に漂うといわれる。
妻はことのほか花を愛でる。だからといって、やさしいというつもりはない。ほどほどに噛みつきもし、引っ掻きもする。漂う感情に匂いもあれば臭みもあろう。
まさか自分が蝶ぎらいだった人間の化身だとは夢にも思うまい蝶は、妻にどんな「こころのかおり」を嗅いで、まとわりついていたのだろうか。
蝶が人間の化身になる……そんなありようもないことを考えつつも、私はなにかの符合をたぐり寄せようとしていた。