大阪にはいろんな思い出がある。
会社へ入社し営業部へ配属となり、18歳の自分に言われた担当地区は大阪だった。当時は大阪営業所がなく本社からの出張で、高山生まれ高山育ちの自分は、新幹線に乗るのも修学旅行以来で、一人で大阪へたどり着いた時は感動的だった。
地下鉄谷町4丁目駅近辺(大阪市中央区)に常宿があり、現品サンプルを持ち込み、宿の一部を倉庫代わりに使わせてもらっていた。調子に乗って少しずつ拡げていったら宿主に注意され、シカトでいたら会社へ連絡が行き、当時の営業責任者であるA.M氏にひどく叱られた。
夕食はその近くにあった居酒屋でいつも食べていて、そこの店主が大の阪神タイガースファン。阪神戦のテレビ中継時間中は見入ってしまい注文したものがなかなか出てこなかった事もしばしば。催促すると「ちょっと待ってや」ちょいキレ気味。(これでもお客なんですけど!)と思いながらやっと出てきた料理は2人前。「待たした分これで勘弁してや~ ぎょうさん食べるんやで」
その年阪神タイガースは21年ぶりのリーグ優勝を果たした。
18歳と言う事で、タクシーの運転手さんによく話しかけられ、得意先の方々によくして貰った。
飛騨の高山からです。
ええとこやなぁー。商売は?
綿棒を製造販売している会社に勤めています。
綿棒って棒の両側に綿のついたやつかいな。
そうです。
そんなんで飯くうていけるんやなぁー。がんばりや。
タクシーの運転手さんにまた会えたら一言お伝えしたい。
「あれから25年経った今も綿棒でご飯を食べています」と。
得意先へ行けば「よぉー青年。肩に雪付いとるでぇ~。みだらし団子食べたいワー」、新商品を紹介すれば「任しとき!10ケースも倉庫へ入れとけや」 得意先は卸業が中心で、よく同行販売をさせてもらった。当時はドラッグチェーンと言われる所が少なく、殆どが薬局薬店の単独店で、一日20軒程訪問し売り込む。帰りは夜9時位になり、途中「青年!腹減ったやろ。美味いコロッケ屋があるんや」(このタイミングでパンとかじゃなくてコロッケかい)と思いつつ車中で食べ、格別に美味しかったことを思い出す。
それから東京営業所へ転勤になり、約20年後再び大阪へ(この頃は大阪営業所が在り転勤となる)。気持ちは高ぶっていた。「お世話になった方にまた会える」 会社はM&Aにより社名が変わっていたが、お世話になった人に再会が出来た。これまで経験した事のない感動があった。その会社を退社され独立している人もいた。九州へ出張し、偶然にも訪問した先へ転職していて再会したこともあった。いずれも自分の顔を覚えていてくれていた。
仕事は、ジェントルマン系とお笑い系の最高の仲間と一緒に格闘技のような商売をし、その仲間は今頭角をバッチリ現し、会社の代表としてお客様と接している。大阪ではマクドナルドはマクド、ミスタードーナッツはミスドと呼び、カニ道楽はカニドと呼ぶのかと聞いたら「アホか」との返答を頂戴した。
自分は今工場勤務。新たな最高の仲間たちに引っ張られ、ものづくりに励んでいます。
←仲間の一味
K.T