老後の手すさびにと、マジックを習いはじめたことがある。
しかしそれも数ヶ月、束の間のことだった。
というのも、肝心のマジックの先生が忽然として蒸発をしてしまったのだ。
自宅に訪ねたところ、玄関の鍵は掛けられておられず、一週間分の郵便物が玄関先に落とされていた。 心当たりを尋ねてもまったく手がかりはない、彼は──忽然として消えた。
いくらマジシャンだからといっても、まさか自分自身を消してしまうとはできまいに、いったいどこえ消えてしまったのか……。
※
マジック好きの私は、テレビのマジックショーは欠かずに観ることにしている。
テレビでマジシャンの男性が、ネパールの子どもらにマジックをしてみせていた。
テレビ局のスタッフが、子らに夢を問うている。
「あなたたちの夢はなに?」
「大きくなったら、なりたいものは?」
ほとんど全員の子らが、黙して語らずであった。
シャイなのではない、夢や、なりたいものがつくれる生活環境でないのだ。
娯楽がほとんどなく、貧しく生活にゆとりのない彼らにマジックを見せたところうで、喜んでくれるだろうか。スタッフは悩んだ。
どっこい、マジシャンのマジックに子らは大喜びである。子らだけではない、大人だって老人だって大喜びである。老若男女をとわず、マジックは万国共通語なのであったのだ。
とそのとき、ひとりの男の子がマジシャンに話しかけた。
「お嫁に行くお姉さんに、ボクのマジックをプレゼントをしたい」
男の子がマジシャンに教えをこうた。
結婚式の当日、弟は姉にインスタントマジックを披露した。
それはそれは感動のシーンだった。きょうから別々に暮らすことになる姉弟にとって、一生忘れられない宝物になるだろう。
もちろん、だれひとりとして、男の子のタネを見破ろうとする者はいなかった。騙された者、騙されたフリの者、みんなが温かい拍手を贈っていた。
まさにマジシャンは「ゆめうりびと」だったわけだ。
※
さてお立ち会い。
マジックは「嘘八百」の世界である。上手下手こそあれ、すべてにタネがある。
たとえタネバレになっても騙されたふりをする。 私はそういう人間でありつづけたいし、そういう人間が大好きでもある。
いや、けっして私の手品の手元の危うさ予防線をここで張ろうとするものではないのだが……。

さて、写真の「木像」は私のマジックの先生が行方不明になった時期に前後して、私の散歩道にある祠に忽然と置かれていた。
なんと木像の顔は彼にそっくりだった。蒸発した彼が、まるでこの木像に同化してしまったかのような、この符合には驚いた。
それから2年と数ヶ月経ったある日、彼がひょっこりと会社にあらわれた。
来年のイギリスで開催のマジックの世界大会にエントリーをしたという。
自分を消し、さらに木像に変身をする力のある彼であるからには、きっと優勝するにちがいない。
優勝したらマジシャンとしてテレビに出演する日を期待しよう。
しかし問題がある。彼は前歯の欠けた「あのねのおっさん」なのだ。まさか自分の顔をマジックで作りかえるテクニックはなさそうなので、その暁にはお笑い系マジシャンの道をすすめるつもりだ。
あの祠にはしばらく行っていないが、木像はまだあるのだろうか。
彼が現れたのなら、あの木像は消えているはずなのだが、さて……。