そう、あれはまだ私が小学生高学年だったころの話だ。
私は夜になると毎日のようにちかくの本屋に行った。
その本は入り口からすぐ右手の棚に立てかけてあった。
すこしだけ値の張った絵本のコーナーにそれがある。
私が生まれてはじめて欲しくなった本だ。
しかし私は知っていた。その本を買ってもらうことができない家庭の事情を。
だから私はその本がほしくとも、がんばって、がまんした。
なにも私だけが、がまんしたわけではない、日本人のほとんどがおしなべて貧しかったから、がまんすること自体、美徳でもなんでもなく、ふつうのライフスタイルであったのだ。
それが高度経済成長はあっという間に日本人をして、一億総中流階級者と化したことにより、足りぬことが自身の精神の浄化剤であった者が、足りる暮らしになったとたん精神の暴走がはじまった。
足りぬことで、足りることを識ることができなくなってしまったのである。
それにいつからのことか、日本人が「がんばる」という言葉をきらうようになったのは。
阪神大震災のとき、がんばれという言葉が一種の禁句のようになったというような憶えもある。
がんばれ、という言葉が封印されだした時を前後して、日本人はがんばらなくなった。
忍耐力が薄れ、ふんばれなくなってしまった老いも若きも、すぐキレル。
ファーストフードが流行るのもそうかもしれない。コンビニが乱立するのもその最たるものなのか。大根一本が一円でも安いお店へ、主婦は自転車で数キロの道のりをいとわなかった時代は昨日のことだ。
ちかくがいい。はやければいい。ぼちぼち、ゆっくりができない。待てない。がまんできない……のだ。
煙りをもくもくと出しながら走る各駅停車の汽車に乗る。
薄暗い部屋でラジオに耳を傾けながら眠りにつく。
週に一度、銭湯に行き、唯一の楽しみは街頭テレビ。
これが私たちの育ち盛りの時代だった。
すべてのモノは足りなかったけれど、すべてのヒトの心は豊かさで満ち足りていた。
それは足りぬことに、がまんができたからであり、なによりも「あかるい明日が必ずあった」からだ。
加えてケイタイ電話の出現が拍車をかけた。
すべてが手軽になった。
ひとむかし前だったら、それこそ清水の舞台から飛び降りても話せない話が、メールならスラスラと書けるのだから、楽ちんだ。
いつでもどこにいても、言いたいことも訊きにくいことだって、すらすら打てる。
デートの約束だって、愛の告白だって、さほどの勇気はいらなくなった。
恋人も友達も、待ちに待って、じわーっと育てるのではなく、インスタントの使い捨てさ。
ケイタイ電話だったら嘘だってつるりとつけるし、東にいても西にいると言えばこと足りる。居留守だって、カンタンさ。なにもがんばらなくたって、がんばっているふりができちゃうんだから、人間関係の「意味が薄くなる」ばかりだ。
その手軽さも手伝ってか、ふんばれなくなってしまった老いも若きも、すぐキレル。
ことのついでだからあえて言おう。
キレル人間が増えたのは、「銭湯」に行かなくなったからでないか、と思う。
と思うは、飛躍だろうか。そうは思わない。
チンチンの、わずかでも動くと、熱い! と手拭いを頭に巻き、ゆでダコのように真っ赤になった、怖いおじいさんが、コラッ! 坊主! 動くな! とばかりボクちんの頭を押さえつける……。
湯船に浸かるのも、出るのも決死の思いだ。そのおっさんに怒鳴りつけられるほど熱い湯に我慢して入る習慣がなくなった。
内風呂だから、自分勝手な温度で入ればいいから楽だ、ガマンのかけらもいらない。
さいきんは頓に見かけなくなったが、私の少年時代の遊びで五本の指に入ったのが「鬼ごっこ」だ。鬼が数を数えるために「だるまさんがころんだ」という呪文を唱えたのだ。
その「だるまさんがころんだ」を十回……いや親の虫の居所が悪けりゃ百回言わなければあがることは許されない。
三つ子の魂百までも、みんなそうやってガマン強く育ったんだ。
あーあのころはよかった、ニンゲンみんな忍耐強かったもんな……なんて、愚考する私の脳天に天啓が降りた。
いい時代の、いいとこ取りばっかりしたお前たちのツケが、いまの時代に回ってきたんだ。地球には「暗い明日が待っている」のが現実だ。お前は食い逃げか! 未来へ向かって歩む若者たちのために、もっと考えることがあるだろう! と。
すべてにおいて、遅すぎることはない。できることから……。
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